悪意のあるネタバレは裁かれるべきだけど…。
ネタバレがハラスメントになる時代
ちょっと聞いてよ!楽しみにしてた漫画の結末をこないだバラされちゃってさ。
朝からテンションだださがりなんだよねー!マジでありえないよねー!
うわっ最悪じゃん!ネタバレするやつって最悪だよね!相手のこと考えてないっていうか。超かわいそう…。私だったら縁を切っちゃうまであるねこれマジで。
とこんな感じの会話を聞いたことがあります。
ネタバレは悪であるというのが世間一般の常識なのかと思いますが、ネタバレっていったいどこからネタバレなのかは人によって違ってくる気がします。
許容量というか。
物語は大なり小なりネタの連続で成り立っているんじゃないかなと思うので「この作品が面白い」という趣旨の会話でどこまで気を遣えば良いかを考えるのが僕個人としてはわずらわしかったりします。
物語の結末部分やどんでん返しの情報だけがネタバレということかと思いきや、自分が知っている以上の情報を意図せず得ることをネタバレとして扱っている人もいますよね。
ネット掲示板などでは「ネタバレ禁止」ルールが明確化されていたりしますが、日常生活ではマナーの範疇で明らかではありません。
お互いが楽しく作品を紹介し合えるようにするには誰しも「私のネタバレ感覚」というものを明らかにして「私ってこういうネタバレ感覚の人だから」と前置きしておく必要があるのかもしれません。
めんどくさいですね。
許されるネタバレと許されないネタバレ
僕個人としてはあまりネタバレは気にしてません。
というのもリアルタイルタイムで追いかけているものって少ないからなのかもしれません。
テレビが…その無いので。欲しいんですけど…その…無いので。
コンテンツを後追いで楽しんでいるレイトマジョリティーな訳ですので、
ネタバレを怒る資格試験があったとしたら合格できないと思います。
漫画はオチが分かってしまってもそこに至るストーリーの組立や演出表現などが好きだったりするので、問題なく作品を楽しめたりします。
「王騎って死ぬぜ!」と言われても、どのように死ぬんだろうという方に興味がわくというか…。
でも、さすがにストーリー主体のゲームなりを遊んでいていよいよ佳境、頭の中でどうなるんだろうと思いを巡らせている時に横から「犯人はヤス」的なこと言われたら怒ると思います。
これは犯人がヤスだったから怒るのではなく悪意を感じるからです。
現在進行系で楽しんでいる作品ほど「次はどうなるのか」という部分にモチベーションされているから追いかけているわけなので、どうなったのかわかってしまえばやる気が失せてしまうと思います。
攻略本を横において進める謎解きゲームって面白くないですもんね。
ネタバレについて慎重になるべきものも確かにあるだろうと思います。
例えばゲーム『ダンガンロンパ』シリーズは発売後も含めてネット上でのネタバレの拡散を禁止する警告を出している作品です。
他にもネタバレに対して法的処置を検討すると表明している作品が多数あります。
この場合はとても分かりやすくて「メーカーが禁止」しているケース。
これは名実共に許されないと思います。
確かにゲームってネタバレがあると楽しめない作りのものって多いですもんね。
僕も「シュタインズゲート」のネタバラされてたらあそこまで胸が締め付けられる昇天体験を出来なかったと思いますし、事前に教えた人に対して末代まで祟ってやるという憎悪を禁じえないでしょう。
そのくらいのカタルシスがシュタゲにはありました。
逆に許されるケースで行くと「見てない方が悪い」的なケースと「ネタバレしようが関係ない」作品は問題ないんじゃないかと思います。あとネットで書くケース。
見てない方が悪いケース
既に既刊(放送済み)のコンテンツについては「好きなら早く見なさいよ」ということにはならないでしょうか。
なにせネタはもう世間にはバレている訳なので、録画して時間があるときに見ようというのは個人の都合なので「申し訳ないけれど遠慮して欲しい」くらいのスタンスが適当だと思います。
気を付けるべき責任は知りたくない側にあると思われるので、話す側はそこまで気にしなくても良いと思う。
ネタバレしようが関係ないケース
ストーリーが主軸にないもの。
そもそもネタバレ問題のターゲットにならない作品って気にする必要が無いと思います。
例えば映画『飛んで埼玉』で「あれってラストは世界埼玉化計画で終わるんだぜ」
と言われても逆に見たくなりませんか?ネタバレにも関わらず。
コメディ作品に多いと思うんですけど、ラストのオチが大事なんじゃなくてストーリー進行にいちいちネタがあるのが楽しさなんじゃないでしょうか。
その分頭を空っぽにして楽しめるのが良さだったりすると思うんです。
ネットでネタバレが書かれているケース
良くネタバレ注意と書いてくれている親切な記事を目にします。
でもネタバレしたくないならいらない情報が入ってきそうな記事を見なけりゃ良くないですか?
(タイトルとかディスクリプションとかにネタバレ要素書くのはさすがに悪意あると思うけど)
アクセスするかしないかを検索した側が選べる場合には、気にする必要ないんじゃないかと思います。
そもそも検索しないで見るくらい気をつけなはれやと思う。
特にノベルゲーとかはもろにストーリーが命なので、感想としては「おもろかった」「キャラが魅力的だった」「泣いた」という自分がどうだったかということ以外は言わない方が無難かと思います。
ネタバレに対しての反論
興味深い話で「ネタバレした方が作品を楽しめる」という実験結果があります。
一般的に、ネタバレはこれから作品を鑑賞しようとしている人の楽しみを奪い、作品の魅力を台無しにしてしまうものであると考えられている[5]。
ところがこの考えに反する研究結果もある。2011年にカリフォルニア州立大学心理学部が学生30人を対象に行った実験では、これから読む推理小説の結末を知らされずに読んだ読者よりも、結末に関するネタバレを知らされていた読者の方が、作品を楽しめたという評価が高くなるという結果が得られた[5][6]。研究者はこの実験結果を、あらかじめ結末を知ることによって作品のプロットや散りばめられた伏線に対する理解が深まり、その結果として自分が理解しやすい内容を好ましく感じる脳の作用が反映された結果だと推測している[6]。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この事を僕なりに映画で例えると好きな映画を2回見たとして1回目よりも結末が分かっている分、散りばめられたメッセージなどに気が付くことが出来て理解が深まって満足度が高かった。
ということがネタバレでも起こりえますよということだと思う。
確かにその感覚はわかるかも。
そもそも犯人を先に明らかにした上で「なんでそうなったのか?」という説明を主軸にしている作品もあるというのは、この実験結果と紐づく演出なのかもしません。
前述の「王騎って…」の下りにも当てはまってます。
ネタバレしようが知るまいが面白い作品は面白い
もしかするとネタバレがあろうがなかろうが面白い作品は面白いというのが結論なのかもしれません。
もちろん、何の情報も無い中で結末にたどり着いた時の衝撃には代えがたい感動があるのは確かです。
情報を発信する側としては配慮する必要があることも分かります。
「リリース前の情報流出」は裁かれるべきだと思います。
でもハラスメントとして扱ってしまうと「なんも言えない」という状況になってしまうのではないかという懸念があります。
ハラスメントって言葉は「人を困らせること」「いやがらせ」という意味なので、確かにネタバレはハラスメントといえるのかもしれません。
だだ問題になるべきハラスメントって個人的にはもっとセンシティブなテーマに適すると思うんです。
「私が嫌だと思ったらもうハラスメントだから問題!気を遣うべき!」という感じで理解されて広がることで、1周して「ハラスメントハラスメント(ハラハラ)」というギャグみたいな言葉まで生まれています。
こうなるともう何も話せなくなってしまうと思いませんか。
好きなコンテンツについて語りあったりするのは重要なコミュニケーションの一環だと思います。
悪質と思われるものでなければ必要以上にネタバレを問題視せずにカジュアルに楽しんでいくのが結局ストレスが少ないんじゃないでしょうか。
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