ミサトさん・・・わかりました。自分頑張ります!

フィクション女性6畳とちょっとの話
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名言・格言いろいろあれど、忘れられない言葉ってありますよね。

辛い時に思い出すエヴァンゲリオンのシーンがあるんです。

※全編にわたって個人的な意見になっているので予めご了承ください。

新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/ まごころを、君に / THE END OF EVANGELION

さまざまなクソムーブをかましたにも関わらず、よりにもよってお前にしか乗れないエヴァに乗りたくないという舐めたこと抜かすシンジに対してミサトさんのセリフより抜粋します。

ミサト「いい?シンジ君。ここから先はもうあなた一人よ。すべて一人で決めなさい。誰の助けもなく」

シンジ「僕は……だめだ。だめなんですよ。人を傷つけてまで、殺してまでエヴァに乗るなんて、そんな資格ないんだ。僕は、エヴァに乗るしかないと思ってた。でもそんなのごまかしだ。なにも分かってない僕には、エヴァに乗る価値もない。僕には人の為に出来ることなんてなにもないんだ!」

シンジ「アスカに酷いことしたんだ。カヲル君も殺してしまったんだ。優しさなんかかけらもない、ずるくて臆病なだけだ。僕には人を傷つけることしかできないんだ。だったらなにもしない方がいい!」

ミサト「同情なんかしないわよ。自分が傷つくのがいやだったら何もせずに死になさい」

ミサト「今泣いたってどうにもならないわ!」

ミサト「自分が嫌いなのね。だから人も傷つける。自分が傷つくより人を傷つけた方が心が痛いことを知ってるから……でも、どんな思いが待っていてもそれはあなたが自分一人で決めたことだわ。価値のあることなのよシンジ君。あなた自身のことなのよ。ごまかさずに、自分の出来ることを考え、償いは自分でやりなさい」

シンジ「ミサトさんだって……他人のくせに!何も分かってないくせに!」

ミサト「他人だからどうだってのよ!あんたこのまま辞めるつもり!?今、ここで何もしなかったら、あたし許さないからね!一生あんたを許さないからね!!」

ミサト「今の自分が絶対じゃないわ。後で間違いに気づき、後悔する。あたしはその繰り返しだった。ぬか喜びと、自己嫌悪を重ねるだけ…でも、その度に前に進めた気がする…」

ミサト「いい、シンジ君。もう一度エヴァに乗ってケリを付けなさい。エヴァにのっていた自分に、何のためにここにきたのか、何のためにここにいるのか、今の自分の答えを見つけなさい」

ミサト「そして……ケリを付けたら、必ず戻ってくるのよ」

ミサト「約束よ……」

ミサト「行ってらっしゃい」

ミサト「大人のキスよ。帰ってきたら続きをしましょう」

セリフだけだとイメージが湧かないという人もいるかもしれないけど、なんかすごく重要そうなシーンだというのはわかってもらえると嬉しいと思ってます。

ちなみに僕はこの映画なんかのタイミングで家族とみてたんですが、この期に及んでいまだにグダグダいっているシンジに対してうちの親父が「じゃあ死ね!!」とぶちギレたのは忘れられません。

親父があそこまで切れたのを見たのは初めてでした。

ミサトさんは子供が憧れる大人像に近い?

クソひねたクソガキであるシンジのクソ(思い出したらイライラしてきた)がそのクソっぷりに注目されたのと反対に「ミサトさん」と自然にさん付けしてしまうのはその大人っぷりが映えたからだと思う訳です。

あそこでシンジ君を動かすことはミサトさんにしかできないことだったと考えれば、現実世界でシンジ君のような人が求めている理想の大人像はミサトさんなのかもしれません。

作品中の視聴者として主人公を批評できる視点ならいざ知らず冷静に考えれば、心が弱っている時誰しもシンジになりえます。

自分の力だけではクソシンジルートから抜け出せないという時、現実世界にはミサトさんのような存在って基本的には存在しない訳です。

なぜってエヴァ初号機に乗るっていうのは「シンジにしかできない」っていうことなんです。

ミサトさんもだからここまで真正面から向き合ってそれこそ命がけでシンジに乗れとメッセージを送るんだと思います。

シンジがもはや誰にでも見放されるようなクソであっても、エヴァ初号機の乗れるという事だけで唯一無二の存在という訳なんです。

現実世界に「エヴァに乗る≒あなたでなくてはいけないこと」ってありますか?

それが無くてはミサトさんも存在しないって思うんです。

あなたにとっての初号機とは?

シンジが初号機に「乗りたくない!」というのは、広義で言うと「仕事行きたくない!」と一緒です。
ということはまあ「ストレス」ということで間違いないでしょう。

とあることを「したくない!」とストレスに感じるとき、そのストレッサーがあなたにとっての初号機です。

ですので乗り越えることによって成長できます。

嫌だなーとクソなよなよしていた時に真剣に叱咤激励してくれてあまつさえ大人のキスをくれるようなミサトさん的な人はあなたのもとに現れるかもしれません。
でも現れないかもしれません。

きっと「あなたでなくてはならない」というのは利害関係を超えて、愛とか母性とか運命とか信頼などの説明できない心の動きによって紡ぎだされるものだと思います。

欲しいからできるというものでもないと思うのです。

フィクションの重要性

現実世界であらわれる可能性が限りなく低いミサトさんを求めてしまう気持ちはしょうがないとして、現れないことを前提にどうしたら良いかについて人は考えるべきだろうと思うわけです。

その為に必要なのが「フィクション」ではないでしょうか?

妄想は人は幸せにも不幸せにもしますが、現実で何かの支えを得られない人はフィクションの世界で心の支えを得なくてはいけません。

あなたが前向きに慣れるシーンやセリフをフィクションの中に見出したのであれば、心震わせる体験を得たのであれば、フィクションは大きな力になります。

何かに負けそうな時、負けた時、自分を情けなく感じた時、消えてしまいたいと思った時、そうシンジの気持ちがわかってしまった時には、ミサトさんの姿を思い出してください。

現実には存在しないけれども、世の中のシンジくんには刺さる言葉のはずです。

人からアドバイスをもらってもなかなか素直になれなかったり、逆に甘えてしまうのが人間ともいえます。

なるべく自分でどん底のメンタルから這い上がるきっかけをつかめる方法を確立しておきたいものですね。

 

 

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