意外と絶対的な死だって即断できない。
~デュビアの場合~
デュビアはあっけなくもひっくり返る
虫が死んでいるのどうかを判断する時に多いのは「ひっくり返っている」かどうかだと思う。
奴らは死んだら大体ひっくり返る。
夏の終わりによく見る道端のセミの死骸やいつの間にか来たのか不明なベランダのコガネムシの死骸の姿は誰もが目にした光景でしょう。
だからこそひっくり返ったセミが暴れだすのはビックリするわけで・・・。
あれほど人側が生死を確定させたい虫もそうそういないとおもう。
デュビアもご多分に漏れずひっくり変える。…以外にもあっけなく。
所属Gというカテゴリーからするとめちゃめちゃ死ななそうな先入観があるけども大量に飼っていると毎日くらいの頻度で死体を見ることになるのです。
共食いしない(しずらい)からなのか、死体もそんなに積極的には食べないようでずっと残ったまま。
たまに半分くらい食べられているのを発見しますが、それなら全部食べて欲しいです。
目の当たりにする死はデュビアでも結構辛い
増やしたいと思っているのも大きな理由ですが、一度自分のケージに入ったデュビアが死んでしまうのは意外にも辛いものです。
寿命であればしょうがない部分が大きいけれど、明らかに何が死因なのか不明なものもちょくちょく出てきます。
- エサは十分であったか?
- 水分量は担保できていたか?
- 湿度が高すぎたのでは?
など自分の飼育方法に問題はなかったかとちょっとセンチな気持ちになってしまいます。
もちろん、経験と共に薄らいでいくものなのかもしれないけれども。
いずれにせよもともと育てている目的はエサ用ということなんだが、捕食される以外では寿命を全うして欲しいし全うできるようにしてあげたいと思います。
処分するしないの境界線は自分で決めるしかない
生きものは死に向かって時を進めているわけで。
でも意外にも確実に死んでいるかどうかの判断には迷うわけで。
ひっくり返って弱っている個体も完全に死ぬまでは足を動かしていたりもするわけで。
「絶対近く死ぬ」けれど「まだ生きている」存在をどうすればいいのかは、その場面に直面してからはじめて自分なりにルールを決める必要があるなと思った部分でした。
結論としては、ピクリともしなくなってから処分することに決めました。
それというのも瀕死っぽくひっくり返っていた個体を起こしてからしばらくしてみたらどこかにいっていたということもあるのでこれはまだ確証を得てないものの「寝てる」とか「一旦ひっくり返っておきたいと思った」みたいなことがデュビアサイドとしてはあるのかなと。
まあ、他の個体に押し流されたというのが真実なのかもしれませんが・・・。
死を積みかねて増えていくデュビア
飼い始めてからすでに100匹近くは死体を処分してきたと思う。
1匹1匹の死に様(死体の様相)は異なっていてカラカラに干からびたやつから、まだ生きているのではという位キレイなものまで死体の処理はさまざまなG生の一端に触れる機会になっています。
でも総合的に増えているというか、明らかに君たち増えてるよね!
という状況は飼っている側としてはとても嬉しい出来事なわけです。
今では死体を検分することで群れとして健やかかどうかを判断して改善していこうという視点に変わりつつあります。
デュビアの群れと生活を共にすることで少し「死についての意識」が変わっているのかもしれません(詩人)。
コメント